Penguinはテメーだけの歌じゃねえんだよ、黙ってろオカマ野郎が!

今回は槇原敬之の話をしたいと思います。

とりあえず、今回言いたいことはタイトルで言いました。
もう一度言います。

Penguinはテメーだけの歌じゃねえんだよ、黙ってろオカマ野郎が!


そういうことだ、わかったな。

わかるかよ。

ということで、説明していきたいと思います。

最新アルバムのHeart to Heartが発売されてから、もう1年になります。

このアルバムの内容というか、位置づけについても色々といいたいことがあるのですが、
まぁそれは今回の話とあまり関係ないのでおいておきます。

このアルバムの中に、軒下のモンスターという曲があります。

歌詞を見ればわかるんですが、真正面から性的マイノリティがテーマで、
直接的に言えば自分はゲイだとカミングアウトしているような曲です。
自分は好きになる相手の性別が違うんだと。

これをはじめて聞いたときの僕の感想は、
「いや、知ってたけど、わざわざ言うほどでも無いんじゃないかなー」でした。

ちょっと音楽業界に詳しい人なら、槇原敬之が「そっちも行ける系」だってのは知ってると思います。
僕もそういう認識でした。
まぁこの曲を聴いて「ええっ?そっち専!?」とも思ったわけですが・・・。

別に曲を作っている人が「そっち専」でも別に構わないんです。
男だって女性の曲を作りますしね。あの布袋寅泰がPRIDEを書いちゃうんですから。

ただね、世の中にはそこの分別が付かない輩が多すぎるんですよ。

恋愛がうまくいかない、と歌う理由はゲイだからですか?
世の中から孤立した感覚に陥るのはゲイだからですか?

んな訳ないだろうよ。
上の文章だって「ゲイ」を「青春」に変えても成立しちゃうじゃない。


以前から槇原敬之の曲は何でも「これはホモセクシャルの歌だね」とか
ドヤ顔で解説をする輩が居るんですよ。

ちょっとでも周囲から理解されない、とか、周りから見えない、とか
そんな要素があるとホモだゲイだと解説する輩が。

それが今回の軒下のモンスターの件で「やった!公式見解来た!」と
増えるわかめちゃんなんですよ。


そんなわけで、冒頭の発言に至るわけです。

すべての性的マイノリティの方が「ゲイの曲来た!」と
はしゃいでいるわけではないことは、もちろんわかっています。
だからオカマ野郎と言わせて貰いました。気に触った方がいたら申し訳ない。

黙ってろ、というのも公の場に顔を出すな、という意味ではありません。
「俺たちの歌だ!」と抱え込まなくてもいいでしょう、と。
「彼氏のこと思い出したわー」とか書いてりゃいいじゃないですか。
良くある感想じゃないですか。書いた人の性別なんて誰も気にしませんよ。


確かに関係ない他人がどういう評価を下そうと、別に構いませんよ。

ただね、槇原敬之の曲のうち何曲かは歴史に残ると思ってるんです。
ええ、個人的ファンの意見ですけれども。

その時に、余計なレッテルでベタベタになった様子をみると悲しくなるんですよ。
「ゲイの歌だ」「だまれオカマ野郎」みたいなね。
それを見て変に誤解をする人が出たらなおさらですよ。

まぁここで愚痴を言っても仕方ないのですが、
だからこそ言いたいことは言っておきたいと思います。

Penguinはテメーだけの歌じゃねえんだよ、黙ってろオカマ野郎が!(三回目)