コロナ禍で思い出す10代の憂鬱

年代記なんで書いておかなければならないと思いつつ、書いて2週間も寝かしていると状況が変わってしまうんですよね。

そうするとなんだか気分も変わってしまってね、書くことが変わるような気がして文章が進まない、という。

しかしこれ、キリがないですからね、一旦書き終えるしかないと決意した訳です。

 

これまでのコロナ禍の暮らしぶりを思い出すと、3月末から5月末までの1周目、6月から7月中旬までのモラトリアム期、7月中旬から8月末の今までの2周目、という感じの移り変わりを感じています。

1周目は自分の中では思考停止期でした。コロナ禍による影響に呆然としていたんだろうと今では思います。

ありがたいことに仕事は予定が狂ったものの生活に困るほどのインパクトはなく、リモートワークができる環境なので4月は3日、5月は1日しか出勤しなくて済む状況。

暇に過ごした3か月のしっぺ返しはそのうち来ると思いつつも「6月から毎日出社なの?マジで?」と笑っていたのですが、その実、思考の7割は停止していたんじゃないかと今では思います。

この時期の状況にプラスの意味を見出すとすれば、子供との関係でしょうか。

朝から晩まで一緒に居て、朝食から夕食まで用意していました。

こちらも仕事はしていますが、宿題を見たりたまに運動をしたり、小さないざこざはあるものの、相対的に円満に過ごしていたと言っていいでしょう。

どうせ将来、子供らは覚えていないでしょうけど、まとまった時間一緒に居られたのは良かったかな、と思うのです。育休を取っていないので、確実に一番一緒にいる時期だったと思います。

一緒にいる時間が長くて良かった、と言うよりも、長い時間一緒にいても破綻する関係性でなくて良かった、という感じでしょうか。

 

そしてモラトリアム期に入る訳です。

コロナ的にはモラトリアム期なんですが、仕事的にはぼちぼち再開し始めた頃ですよね。

この仕事再開に伴って、1周目に考えないようにしていた大きな問題に気づかされることになる訳です。

未だかつてない程に、心が折れちゃったんです。

 

大きなイベントをね、やる予定だったんです。

ただこのコロナ禍ですよ。中止すりゃあいいのに延期ですよ。

それでも大義名分上は大事なイベントだし、延期でやることも余計に増えたんで、ぼんやりしても居られないはずなんですけどね。

 

仕事を再開してみて確信したんですが、さっぱりね、やる気にならないんですよ。

元々世の中的にあまり好かれていないイベントでしてね、更に自分の仕事にも組織にも納得がいっていない状況でしてね、唯一の救いは今年の夏で終わることだったんですよ。

そこに今回のコロナで延期ですよ。

 

仕事に納得がいかないなら、少しでも納得できる仕事の割合を増やしていくとか、色々とやり方はあった記憶があるんですけどね、やる気にならんのです。

全て無駄なことにしか思えんのです。

無駄な仕事をして雪玉状に無駄を増やすぐらいなら、上司に叱られてでも何もしないほうを選んでしまうのが現状ですよ。

この調子だと悪い評定が付くことすらありえるかもわからんね。

 

そして現在の2周目に至る訳です。

相変わらず仕事の状況は最悪、それ以外はまずまず、という状況です。

仕事は金のため、やりたいことよりこなせること、というスタンスでサラリーマンをやってきた認識だったんですけどね、「誰かのためになる」と思えない仕事がこれほどまでに苦痛だったとは。

そういうところに自己肯定感があったことは自分でも驚きの発見ですよ。

 

10代を思い出すような、怠惰にまとわりついた憂鬱を今更感じさせてもらえるとは、という感慨もあるにはあるんですけどね。

 

あの頃に比べると、今は相当恵まれている気がするんですけど。

なんでこんな気分なんだろうか、というね。