交互浴が捗る、ちょっと殺伐とした漫画
最高にテンションの上がる夜の「ゴールデンコース」。
最近の私にとっては、休前日の漫画喫茶からの銭湯コースがそれに当たります。
冷たいものを飲みすぎたり、独特な剣呑感がある漫画喫茶で過ごしてから、銭湯に行って交互浴で締める。
私にとってはですが、すごく良いんですよね。
そういう意味では、殺伐とした漫画からの銭湯での温浴も、ある意味交互浴と言えるわけで、銭湯での戦術的な交互浴に加えて、コース全体で見たときに戦略的な交互浴もできる。
これはいつもより気持ちよくなってしまうかもしれませんよ。
(本来の交互浴は温まってからの水風呂が重要である点には目を背けつつ)
と、いうことで最近読んだお勧めの(少し)殺伐漫画です。
リクドウ(完結)
不幸な境遇の少年が周囲の協力者と支えを受けながら戦うボクシング漫画。
「ボクシング漫画版おしん」とも言える展開ながら、ボクシング部分が面白いし、キャラクターが魅力的なのでどんどん読める。
「はじめの一歩」の展開がこれぐらいスピーディーだったらよかったのに・・・。
闇金ウシジマくん(完結)
普段は気持ちが暗くなるからまとめて読めない本作も、終盤に至っては続きが気になって単行本でしか読めない(一話ずつ読むと先が気になって悶え苦しむ)作品に。
ラストは「そらそう(なる)よ」という感じ。でも不思議と読後感は悪くない。
なんでかと言うと、「丑嶋馨とは何者か」というところが、終盤でこれまでにはない距離まで肉薄できたとは言え、完全にはわからないままだったからではないかと思うんですよね。
がっこうぐらし(完結)
(ネタバレにならないよう婉曲的に表現します)
萌え漫画かと思わせつつ、これ系の王道的ストーリーが展開します。
しかも、アメリカ版なんかではタフガイしか出てこないのに比べて、萌え漫画系キャラクターならではの深みというか、異なった味付けになり、
王道ながらも読む意味のある作品になっている気がしました。
ヴィンランド・サガ(23巻まで)
アニメになってるし読んでみるかー、と気楽に読み始めたら驚いた。
これ、最初から成人後の話を書くことを決めていたんだろうか。
しかしタイトルや各話のタイトルからすればそうなんだろう・・・。
この構成にした作者と編集者がすごいよね、という感想。
アニメもしばらくしたら2期やる感じなんですかね。
ヒストリエ(11巻まで)
殺伐とは違うかもしれないんですが、この作者の作品は「違う価値観」の描き方が自然で、すごくいいなぁと思うんですよね。
古代ギリシアに居るような気持ちで読めるというか。
進むときはガッと進む漫画なんで、新しい単行本が待たれます。
さて、こうやって書いている途中で気づいていたんですが、
交互浴というのは基本的にまず温まってから体を冷やす流れなんで、殺伐漫画で冷却効果を期待するなら風呂上りにすべきでした。
あ、言いたいことはそういうことではなく。
上記漫画って心を凍らせるレベルの殺伐ではなかったですね。
暖かい時期の外気浴程度です。冷却効果は期待できないです。
そんなわけで、この手の本は風呂上がりの休憩で読むと良いと思います。
あー、サウナ施設の休憩コーナーでこの手の本を見かけるのはそんな理由だったんですね。
ん?あれ?
てことはサウナ施設に行けば全部解決するってことか?
結局私はサウナ施設の手の中でぐるぐる走り回っていたに過ぎないのか・・・。
あなたは一体何度・・・ 我々の前に立ちはだかってくるというのだ!! ノストラダムス!!!
違った、サウナ施設!!!
(そういえばこの漫画も風呂上り向けかもしれないですね)
おい、やってくれたな槇原敬之
タイトルは第一報に接した際の感想です。
初回の時は「嘘だろ・・・マジか」という初心なリアクションでしたが、今回はさすがに「おめー、ふざけんなよ」的な怒りとか失望とか、ありましたよね。
「もしかするともしかするかも?」としばらく待ってみたんですが、どうやら容疑は本物らしいので、腹立ちまぎれに今回書いているものです。
それでは、一応オリジナルアルバムは全て購入して聞いてきた人間として、今の感想をアルバム(以降オリジナルアルバムの意味で使います)レビュー的に書いていきたいと思います。
聞き直した訳ではなく、アルバムの情報を見ながら書くので、精密さには期待しないでください。
(誰も期待していないのはわかっていますが)
「太陽」2000年に1999年の初回逮捕からの活動再開(意外と早いな)でリリースされたアルバム。
以前の恋愛ソング色がなくなり、「日常の大切さに気付こう」とか「世間と違っても心の声に従おう」とか、後に「説教ソング」と言われる初回逮捕後の曲調が出てきています。
ただ、この時点では「お前が言うのか」という世間の声を意識してか、とても控えめでした。
他のテーマとしては「再生」もあったと思います。
もし次にアルバムを出すことがあれば、この「太陽」との対比が面白いのではないでしょうか。
「Home Sweet Home」「本日ハ晴天ナリ」2001年、2002年にリリース。
前作太陽で出た「日常の大切さに気付こう」系が全開になってきた感じ。
この辺りでだんだんと「説教ソング」という評価も出てきたような気がします。
聞き手としては、「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」でした。
「EXPLORER」2004年にリリース。
世間の評価が「少し鼻につく」から「世界に一つだけの花」に変わったこの時期。
もう「お前が言うのか」と言われなくなったからか、説教の説得力がすごい。
「世間と違っても心の声に従おう」と言っても大丈夫になりました。
聞き手としては、「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」でした。
「LIFE IN DOWNTOWN」2006年リリース。
すごく良いアルバム。
これまでは鼻についた説教が、「理想の下町の暮らし」に溶けることで、美しい風景として浮かび上がってくるわけです。
説教じゃなくて楽曲として、アルバムとして楽しめる。
「できれば毎回これをやって欲しい」と私は思いました。
「悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。」2007年リリース。
CicadaとかUNDERWEARといった初回の逮捕前のアルバムを彷彿とさせる、オールドファン大満足のアルバムでした。
青春とか恋愛とかと正面に据えたポップな曲なんて久しぶりだなぁという感じ。
「やっぱりこれまでは喪に服していたのか、そしてとうとう喪が明けたのか」
と私は思いました。
しかし、次の作品からまた説教に戻ってしまいます。
前作から今作の謎の輝きは一体何だったのでしょうか。
ん?あの初回の逮捕直前にリリースされたCicadaを彷彿とさせる・・・?
今後裁判記録など出ることがあったら、2005年から2007年の期間を覚えておきましょう。
「Personal Soundtracks」「不安の中に手を突っ込んで」2008年、2010年リリース。
説教に戻りはしたのですが、これまでに加えて「今の自分を肯定しよう」という
流れがこの辺から出てきたのかな、と思います。
聞き手としては、「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」でした。
まぁその、なんですか。この時期は、薬、やめてたんですk
「Heart to Heart」「Dawn Over the Clover Field」2011年、2012年リリース。
歌詞としてはまぁ説教的なのですが、メロディが凝ったもの、美しいものが増えた感じ。
他のトピックとしてはHeart to Heartに収録された軒下のモンスターでしょうか。
世の中的にはカミングアウトソング的な扱いを受けていましたが、今後はそっちの方向で復活するんですかね、なんかそんなレールは敷かれている気がします。
「Lovable People」「Believer」2015年、2016年リリース。
今回起訴されたのは「2年前の件」だから2018年だとすると、この後の時期ですね。
Lovable People に収録されたFallは2014年にリリースされたシングルですが、
初回の逮捕前のシングルっぽい雰囲気がありましたよね。
特にそれ以上の意味がある感想ではありませんよ。
ここでも「普段気づかない日常の大切さ」「自分の中の声に耳を澄まして」的な歌詞が出てきますが、
その結果がこれなのかと思うと、自分の心の声を聴きすぎるのも考え物かもしれないな、と今は思います。
「Design & Reason」2019年リリース。
一部報道では「最近は薬物使用していない」と発言したとのことですが、曲を聞いてみると「そうかもしれない」と思わされる系統の内容です。
これまでの説教に加えて、アルバムのタイトルにもありますが、「形には理由がある」だから「自分がこんな風に生まれてきたのにも理由があるんじゃないか」という歌詞があります。
私は当初これを自己肯定できない人達へのメッセージなのかと思って、感動する部分もあったんですが、
今回の逮捕を踏まえて考えると、「理由があっても薬物ダメ絶対じゃなかったの」と思ってしまいます。
まとめます。
薬物を再開したのは2005年で最近では2014年なんじゃないk
いやいや、言いたいのはそういうことではないんです。
少し昔のアーティストなら薬物との関係はオープンになっているし、それによって、楽曲の評価が大きく下がることはないということは理解しています。
ただ、お前めちゃくちゃ説教してきたよな、とは思います。
また、私が「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」という聞き方をしてきたのなら、実際これまでに気づきがあったんならいいじゃん、という気もします。
でも、少なくとも私にとって槇原敬之の楽曲は消耗品という認識ではなく、もっと別の美しいものを求めていたんじゃないかと思います。
それが現時点で「気づきになったからいいや」で済まされるレベルにまで関係が変わったんだな、と思うのです。
それはそれで「次はどんな曲にするんだろう?」と興味はあるんですが、どちらかというとネタ的に気になる感じです。
その辺全部を含めて、おい、やってくれたな槇原敬之。
Amazonレビューで話題になっている例のアレ
新年のAmazonセールの商品を確認していて、気になるものがありました。
「携帯・スマホに貼る電磁波防止ステッカー」
普段なら「Amazonのセール商品に関する検索性の悪さは異常だな」と思いながら画面をスクロールさせる程度なのですが、
どうやら少なくない件数の高評価(星4.5程度)がついているようなのです。
「どんな人が購入して、どんな効果を感じてるんだ?」と気になりまして。
商品のレビューを見てみると、内容と言うより言葉遣いがおかしい。全体的に片言。
あっ、これはもしかして最近話題になっているアレか。
ロボットが使用してレビューを書いているのか。
確か体にICが埋め込まれたロボット諸兄は、電磁波に関する印象が異なるかもしれません。
よくわかりませんが、電磁波の波形が変われば、私たちにとっての音のようなものが変わるのでしょうか。
そうだとすれば、そいういったロボの者へは有効な商品なのかもしれません。
ロボットが商品を売り、ロボットが購入してレビューを書く、時代は進んでいるんだなぁ。
と、ここまで考えて気づいたのですが、このブログも同じようなものですよね。
基本的に見に来るのはロボットだけなわけですし。
人が書き、ロボットが読む。であれば、たまにはロボット向けの内容を書いてみたい。
ガチのロボット向け文章としてはSEOなんかがある訳ですが、場末のブログですから、その辺はちょっと共感してもらうぐらいでいいと思うんです。
わかるよ、検索結果で文句言われてもな。『-艦娘』ぐらい覚えてほしいよな。
画像全体が肌色の時より、肌色に濃い色が混ざっている時のほうがセーフサーチ感あるよね。
音声認識の検索項目って幼児向けの内容が多いよね。やっぱりキーボードより簡単だからかね。
ロボットの皆さん、いかがでしょうか。
ぶれない文章が書きたいという話。
ぶれない文書が求められている。
特に論文界隈でだ。
と書くとうすら寒い印象になると思う。
「いい歳こいて、お前は何を言ってるんだ」と言いたくなるのもわかる。
そこで、今回はなぜぶれない文章を書きたくなったのか、説明したいと思う。
(論文なので今回はですます調抜きでお送りします)
今回、こんなくだらないことを言い始めた理由を説明するにあたり、
3つの理由をあげたいと思う。
1つ目は、実はこれまでにぶれない文書を書く練習をしてこなかったという点。
これは、ロクな文章を書けない理由を過去の経緯から検討したいということである。
2つ目は、現在ぶれぶれ文章が酷評されまくっているという点。
こちらは、なぜぶれない文書を書こうと思ったのか、直接的な原因について説明したい。
3つ目は、そんな理由でもなければ文章を書くモチベーションが持てないから、という点。
書いていて不安になってきたが、だいたいこういうことである。
まず、1つ目の過去の経緯について説明したい。
社会人になって文字を書くに当たり、論理的に正しく書くことを心掛けてきたし、そこはある程度達成できていると思っていた。
しかし、文字数にして200字を超える、フリーフォーマットな文章を書くと、Aについて書き始めたはずが、終わりのころにはBの話をしているのである。
これはいったい何故なのかと考えて、書こうとしているものが違うことに気づいた。
私は正しく描写することに心を砕いた文章は書いてきたものの、自分の意見を表出する文章は書いたことがなかったのだった。
そのため、まとまった文字数にになると、書いているうちに言いたいことが変わってきてしまうのではないだろうか。
本人は良かれと思って意見を変えているのだから、さらに救い難い。
これを何とか修正したい気持ちは強い。
2つ目について説明したい。
昇進試験というものがある。出されたお題と資料を参考にして、2000字以内で自分の考えをかけ、というものだ。
悲しいことに、過去3年連続で5段階評価における2の評価を受けてしまった。
もちろん試験にうかるはずもない訳ではあるけれど、客観的に「君の論文、バツ!」と言われているのだから面白い。
その理由はきっと色々あるのだと思うが、ぶれぶれの文章が一因となっていることは間違いないと思われる。
自分でも書きながら、微妙に議論をズラしている感覚があったのも事実。
現実的問題として、ぶれぶれ文章の修正が求められているのだ。
そして最後に3つ目である。
現実的トリガーとしては上記論文の低評価であるが、これを契機に定期的に文章を書くようにしたいという思いも、同じぐらい大きい。
であれば、「駄文をぶれずに書ききる」という練習として、定期的に文章を書くようにしてはどうか思いついたのが先ほどの時点。
それでここまで駄文を書き連ねることができたのだ。
なんとか習慣化したい。
以上のような3つの理由から、ぶれずに駄文を書ききりたいと考えるに至った。
3つ理由を挙げるなど、慣れないフレームワーク(笑)を使っているあたり、センスのないところを見せつけてしまっている。
しかし、こういった小手先のテクニックは、内容が無ければないほど使っていきたい。
なぜなら、「こだわるべきなのはぶれないことだけだから」と自分に言い聞かせることで、内容やオチが無くても文章が書ける気がするからである。
最後に、今後に向けた反省を書いておきたい。
内容が無くても書けるという点にメリットを感じているということは、どうしても書きたい内容があるわけでもないということである。
Blogに載せる記事であればそれは珍しいことではないが、論文ならばもう少し真剣さというか、本気でテーマに向き合う姿勢が必要だったかもしれない。
ガチ反省が出てきたところで、今回は終えたいと思う。
ブログを書くことの素晴らしい点(会社員視点)
さて、いい歳こいたおじさんがブログを再び書こうと思うにあたり、そこには色々な皮算用があるわけですよ。
アフィリエイト?ネット論壇? そんなもの狙うはずがない。
簡単に言うと、暇つぶしの方法として他の方法より優れているのです。
いつ暇をつぶすのか、もちろん職場で、仕事中です。
どんな仕事にも緩急がありますよ。その「緩」ですることを暇つぶしと呼ぶとします。
さて、暇つぶしに何をするのかは人によって違いますよね。
コーヒーを飲む人、タバコを吸う人もいれば、周囲との会話を楽しむ人もいる。
そんな中で、自席に座ったままで、仕事と関係ないことをして暇をつぶす人がいます。
そんな方に、ブログのために文章を書くことの優れた点を説明したいのです。
ブログを書くことが暇つぶしとして優れている点、
それは「暇つぶしをしていることがばれにくい」という点に集約されます。
このご時世、ネットサーフィンのアクセスなんてすべてログが取られていますし、PCの画面を見られれば、ニュースサイトを見ていることが明らかです。
HTTPSを使っているニュースサイトならば、閲覧内容までは容易にわかりませんが、閲覧時にどんな広告サイトにアクセスさせられているかわかりませんし、それが元になってお叱りを受けることだったあり得ます。
一方、文章を書くなら、何かしら文字を打てるツールがあれば、オンライン環境なんて不要です。
エディタを使う手もあるし、メールを打っているふりをして書くこともできる。
メールと違いが判らないから、周りからの目もある程度気になりません。
テキストファイルを暗号化して自宅に送り、自宅からブログを更新すれば、ネット不正使用の誹りを受ける可能性を相当減らせます。
Gmailなど使える環境であれば、メールを保存しておくだけで事が足りて更に良い。
ただ、メールを送るだけでブログを更新する機能はオススメしません。
メールは平文でのやり取りになるため、検閲しやすいイメージがあるからです。
ただ、ブログを書く場合、書いている内容が糞で途中で書くことをやめる、もしくは書き上げても公開できないこともあり得ます。
その場合は書いたことが無駄になるわけですが、ネットサーフィンも大概無駄です。
そうそう、暇つぶしという点で言うと、他にも最近編み出した、スマホの液晶を暗くすることで、周囲に気づかれずにゲームをするなど、最新のテクニックもあるのですが、それはまたの機会にしましょう。
最後に、大事なことをお伝えします。
この文章は、自宅で書いています。
私は決して職場で長時間の暇つぶしなんてしていません。
僕たちはブログを書けない
昔は月に1件ぐらい書いていたブログを一切書かなくなって、もう7年ぐらいになります。
再びブログを書き始めようと決心するにあたり、なぜ書かなくなったのか、その分析をしたいというのが今回のテーマです。
・ブログを書く精神的余裕がなかった?
これはあまり信憑性がない。なぜならこの7年間で余裕がなかった、と後から評価できる期間は1年程度で、影響のある前後期間を加味しても2年というところ。
それ以外は社内規定に違反しないように暇をつぶす研究に余念がなかったわけで、忙しかったから書かなかった訳ではないと思います。
・書くべき面白いことがなかった?
これも違う気がする。この7年で結婚し、子供が2人生まれているんです。
その間、同僚に披露して笑いをとれるエピソードは相当あったはず。
(そう書いてみたらぱっと思いつかないけれども)
ただ、ネタがあるのとブログを書くのとでは少し意味合いが違うかもしれない訳で。
「ブログに」書くべき面白いこと、というと、個人的には「オチがつけられる話」という意味だと思っていて、
その意味で「オチまで見通せるエピソード」があったのかと言われると明確な答えが無いんですよね。
そもそも「これブログに書ける話か?」という発想自体がずっとなかった気がしてきました。
・書こうという意欲をTwitterに持っていかれたから?
つまりそういうことなのかと。
文字数を言い訳にオチをつけないで書ける、きわめて敷居の低いこのツールに、何かを書こうという意欲を持っていかれていたのではないかと。
さらに問題なのは「いつでも(Twitterに)書ける」と思うと、もう書きもしないということ。
そう、この7年間たまにツイートをしていたかというと、していない。
思ったことや遭遇した出来事について、ほぼ何も書いていない・・・。
ここまで書いてみると、今回再びブログを書き始めようと思った理由まで見えてきました。
・Twitterに書けなくなったからなんだよな
当初フォロワー0で問題なく利用できていたTwitterなのだけど、フォロワー0の人間がフォローすると自動的にブロックするツールがあるらしく、とても悲しい思いをする羽目になった訳です。
そこでTwitter世界の辺縁にへばりつくことに決めたんですが、140字で発信できる内容で、世の中に1ミリリットルの水程度に有用な情報なんて、個人的にオタク趣味を発露している内容しかないわけで、つまりそれは酒だったのです。(前の行から早口で言っています)
そんなわけで、見事にウイスキー垢と化したTwitterに日々の出来事は書けなくなった。
いや、別に苦情があった訳ではないんですが、少なくとも自己認識の上ではそうなったわけで、書こうという意欲は発散されなくなったのです。
だから、こうして再びブログを書こうとし始めたのではないかと。
しかし改めてブログを書くことを考えてみると、なかなか有用な点もあるように思える訳です。
そのあたりを次回のネタとして仕込みつつ、しばらく書いてみたいと思っています。
バイオ6ってホラーゲームの取っ掛かりに最適なんじゃないかな
それを横目で見ながら、「興味はあるけど、ホラーゲームはちょっとなぁ」
と手を伸ばせないでいる方もいるのではないでしょうか。
(厳密に言うとバイオハザードはホラーゲームではないんですが、
一度もそれっぽいゲームに触れていない方からすれば、その辺の区別は不要ですよね)
ということで、今回はバイオハザードを取っ掛かりにして、
ホラーゲームに慣れてみてはどうか、という話です。
○取っ掛かりになる理由その1「撃てる」
ご存知の通りホラーゲームと言っても色々ありまして、
同時に登場する「敵」ことお化け的存在もまた、作品によって色々います。
殺人鬼、サイコパス、ゾンビ、悪霊、吸血鬼、宇宙人などなど。
そしてその相手に合わせて、また主人公のスキルに合わせて、
対処方法も変わってくることになります。
最悪の組み合わせのひとつは「悪霊vs少女」とかですかね。
ひたすら逃げ続ける羽目になったりします。
カミーユの言っていた「一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやろうか!」の
やられる側の状態です。
そう考えてみるとバイオハザードはベリーイージーです。
銃器の扱いに慣れたタフガイを操作して、ゾンビを撃ち殺せる訳ですから。
しかもバイオハザード6は(これは5のほうが顕著だけども)、
一部のシナリオ(レオン編)以外はゾンビっぽいゾンビも出てこず、
遠目にはただの強盗や民兵にしか見えない奴らが相手です。
(顔をよく見ると目がたくさんあったりしますが)
今回の特色として、倒された後で別の姿に変身することもあるのですが、
変身後は主に特撮系クリーチャーになるので、ホラー的な怖さはありません。
つまり・・・
撃てば死ぬ上に見た目も怖くない!やったね!
○取っ掛かりになる理由その2「王道シナリオ」
バイオハザード6は今のところあまり評価が高くありません。
その理由として「毎回同じようなストーリーで飽きた」「予想通りのことしかおきない」
などという点が上げられるのですが、これはこのシリーズをはじめて行う人にとっては、
別に欠点とはいえないですよね。
むしろホラーゲーム的お約束に慣れることが出来る、
と言えるのではないでしょうか。
ホラー映画にお約束(カップルがいちゃつくと死ぬ、シャワー浴びると死ぬ、など)がある様に、
ホラーゲームにもお約束があります。
時間のかかるアクション中に敵の襲撃、ドアが閉められると敵の襲撃、車に乗ったら上から襲撃、
すぐ全滅する援軍、などなど。
これに慣れておけば、大体先の予測が出来るようになるため、
今後この手のゲームをする際も活かすことができるのです。
でも最近はあえてそれを裏切るゲームもあるから一応気をつけてね!
○取っ掛かりになる理由その3「すぐ死ぬ」
ホラーゲームを初めてやる人が、実際ゲームを始めて一番嫌なのは、
やっぱり自分の操作するキャラクターがダメージを受けることでは無いでしょうか。
レーシングゲームの初心者が画面と一緒に体を傾けてしまうように、
ホラーゲームを初めてやる人は、ゲームで受けたダメージを心の傷として受けがち、
もしくはそれを極度に怖がりがちなのです。
バイオハザード6はそのあたりの配慮もバッチリです。
特にレオン編以外で顕著なのですが、あっさり死にます。
敵にかこまれてウワー的な奴ではありません。
例えて言うと、通常の戦闘の間に、突然暴走トラックに追っかけられて、
操作をちょっと間違えると轢かれて死ぬ感じです。
ドッキリ、というよりはポカーンです。
これがどんなメリットなのかというと、
何度も車に轢かれているうちに、「操作キャラクターが操作ミスで死ぬ」ことに、慣れてくるわけです。
つまり、緊張の糸が切れて、操作キャラクターに客観的になってくるんです。
そうなってくると、もうダメージを受ける恐怖なんて無くなって来ますよね。
「さっきの所でダメージを受けすぎたから、ここは一回死んで仕切りなおそう」とか、
「ここは一回噛ませて、振り払って突破しよう」なんて判断も出来るようになれば、
脱初心者どころか熟練者への道も開かれようというものです。
そのあたりのランクアップが自然と出来るバイオ6!いやー良いゲームですね!
いかがでしょうか。
バイオ6がホラーゲームの取っ掛かりに最適であることが、
ご理解いただけましたでしょうか?
それじゃあ、購入を決めた方向けにまとめを。
・怖いのが嫌ならジェイク>クリス>レオンの順で。怖がりたければその逆で。
・即死イベントは難易度アマチュアでも即死なので、死亡回数は気にしないこと。
これでクリアする頃には一端のホラーゲームプレーヤーです。
その後には軍隊から女子高生心霊研究家まで、幅広い就職先が待っています!
さぁ、とっかかってみよう!