おい、やってくれたな槇原敬之
タイトルは第一報に接した際の感想です。
初回の時は「嘘だろ・・・マジか」という初心なリアクションでしたが、今回はさすがに「おめー、ふざけんなよ」的な怒りとか失望とか、ありましたよね。
「もしかするともしかするかも?」としばらく待ってみたんですが、どうやら容疑は本物らしいので、腹立ちまぎれに今回書いているものです。
それでは、一応オリジナルアルバムは全て購入して聞いてきた人間として、今の感想をアルバム(以降オリジナルアルバムの意味で使います)レビュー的に書いていきたいと思います。
聞き直した訳ではなく、アルバムの情報を見ながら書くので、精密さには期待しないでください。
(誰も期待していないのはわかっていますが)
「太陽」2000年に1999年の初回逮捕からの活動再開(意外と早いな)でリリースされたアルバム。
以前の恋愛ソング色がなくなり、「日常の大切さに気付こう」とか「世間と違っても心の声に従おう」とか、後に「説教ソング」と言われる初回逮捕後の曲調が出てきています。
ただ、この時点では「お前が言うのか」という世間の声を意識してか、とても控えめでした。
他のテーマとしては「再生」もあったと思います。
もし次にアルバムを出すことがあれば、この「太陽」との対比が面白いのではないでしょうか。
「Home Sweet Home」「本日ハ晴天ナリ」2001年、2002年にリリース。
前作太陽で出た「日常の大切さに気付こう」系が全開になってきた感じ。
この辺りでだんだんと「説教ソング」という評価も出てきたような気がします。
聞き手としては、「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」でした。
「EXPLORER」2004年にリリース。
世間の評価が「少し鼻につく」から「世界に一つだけの花」に変わったこの時期。
もう「お前が言うのか」と言われなくなったからか、説教の説得力がすごい。
「世間と違っても心の声に従おう」と言っても大丈夫になりました。
聞き手としては、「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」でした。
「LIFE IN DOWNTOWN」2006年リリース。
すごく良いアルバム。
これまでは鼻についた説教が、「理想の下町の暮らし」に溶けることで、美しい風景として浮かび上がってくるわけです。
説教じゃなくて楽曲として、アルバムとして楽しめる。
「できれば毎回これをやって欲しい」と私は思いました。
「悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。」2007年リリース。
CicadaとかUNDERWEARといった初回の逮捕前のアルバムを彷彿とさせる、オールドファン大満足のアルバムでした。
青春とか恋愛とかと正面に据えたポップな曲なんて久しぶりだなぁという感じ。
「やっぱりこれまでは喪に服していたのか、そしてとうとう喪が明けたのか」
と私は思いました。
しかし、次の作品からまた説教に戻ってしまいます。
前作から今作の謎の輝きは一体何だったのでしょうか。
ん?あの初回の逮捕直前にリリースされたCicadaを彷彿とさせる・・・?
今後裁判記録など出ることがあったら、2005年から2007年の期間を覚えておきましょう。
「Personal Soundtracks」「不安の中に手を突っ込んで」2008年、2010年リリース。
説教に戻りはしたのですが、これまでに加えて「今の自分を肯定しよう」という
流れがこの辺から出てきたのかな、と思います。
聞き手としては、「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」でした。
まぁその、なんですか。この時期は、薬、やめてたんですk
「Heart to Heart」「Dawn Over the Clover Field」2011年、2012年リリース。
歌詞としてはまぁ説教的なのですが、メロディが凝ったもの、美しいものが増えた感じ。
他のトピックとしてはHeart to Heartに収録された軒下のモンスターでしょうか。
世の中的にはカミングアウトソング的な扱いを受けていましたが、今後はそっちの方向で復活するんですかね、なんかそんなレールは敷かれている気がします。
「Lovable People」「Believer」2015年、2016年リリース。
今回起訴されたのは「2年前の件」だから2018年だとすると、この後の時期ですね。
Lovable People に収録されたFallは2014年にリリースされたシングルですが、
初回の逮捕前のシングルっぽい雰囲気がありましたよね。
特にそれ以上の意味がある感想ではありませんよ。
ここでも「普段気づかない日常の大切さ」「自分の中の声に耳を澄まして」的な歌詞が出てきますが、
その結果がこれなのかと思うと、自分の心の声を聴きすぎるのも考え物かもしれないな、と今は思います。
「Design & Reason」2019年リリース。
一部報道では「最近は薬物使用していない」と発言したとのことですが、曲を聞いてみると「そうかもしれない」と思わされる系統の内容です。
これまでの説教に加えて、アルバムのタイトルにもありますが、「形には理由がある」だから「自分がこんな風に生まれてきたのにも理由があるんじゃないか」という歌詞があります。
私は当初これを自己肯定できない人達へのメッセージなのかと思って、感動する部分もあったんですが、
今回の逮捕を踏まえて考えると、「理由があっても薬物ダメ絶対じゃなかったの」と思ってしまいます。
まとめます。
薬物を再開したのは2005年で最近では2014年なんじゃないk
いやいや、言いたいのはそういうことではないんです。
少し昔のアーティストなら薬物との関係はオープンになっているし、それによって、楽曲の評価が大きく下がることはないということは理解しています。
ただ、お前めちゃくちゃ説教してきたよな、とは思います。
また、私が「説教が少し鼻につくけど、まぁ気づきには繋がるよね」という聞き方をしてきたのなら、実際これまでに気づきがあったんならいいじゃん、という気もします。
でも、少なくとも私にとって槇原敬之の楽曲は消耗品という認識ではなく、もっと別の美しいものを求めていたんじゃないかと思います。
それが現時点で「気づきになったからいいや」で済まされるレベルにまで関係が変わったんだな、と思うのです。
それはそれで「次はどんな曲にするんだろう?」と興味はあるんですが、どちらかというとネタ的に気になる感じです。
その辺全部を含めて、おい、やってくれたな槇原敬之。