ぶれない文章が書きたいという話。

ぶれない文書が求められている。

特に論文界隈でだ。

 

と書くとうすら寒い印象になると思う。

「いい歳こいて、お前は何を言ってるんだ」と言いたくなるのもわかる。

そこで、今回はなぜぶれない文章を書きたくなったのか、説明したいと思う。

(論文なので今回はですます調抜きでお送りします)

 

今回、こんなくだらないことを言い始めた理由を説明するにあたり、

3つの理由をあげたいと思う。

1つ目は、実はこれまでにぶれない文書を書く練習をしてこなかったという点。

これは、ロクな文章を書けない理由を過去の経緯から検討したいということである。

2つ目は、現在ぶれぶれ文章が酷評されまくっているという点。

こちらは、なぜぶれない文書を書こうと思ったのか、直接的な原因について説明したい。

3つ目は、そんな理由でもなければ文章を書くモチベーションが持てないから、という点。

書いていて不安になってきたが、だいたいこういうことである。

 

まず、1つ目の過去の経緯について説明したい。

社会人になって文字を書くに当たり、論理的に正しく書くことを心掛けてきたし、そこはある程度達成できていると思っていた。

しかし、文字数にして200字を超える、フリーフォーマットな文章を書くと、Aについて書き始めたはずが、終わりのころにはBの話をしているのである。

これはいったい何故なのかと考えて、書こうとしているものが違うことに気づいた。

私は正しく描写することに心を砕いた文章は書いてきたものの、自分の意見を表出する文章は書いたことがなかったのだった。

そのため、まとまった文字数にになると、書いているうちに言いたいことが変わってきてしまうのではないだろうか。

本人は良かれと思って意見を変えているのだから、さらに救い難い。

これを何とか修正したい気持ちは強い。

 

2つ目について説明したい。

昇進試験というものがある。出されたお題と資料を参考にして、2000字以内で自分の考えをかけ、というものだ。

悲しいことに、過去3年連続で5段階評価における2の評価を受けてしまった。

もちろん試験にうかるはずもない訳ではあるけれど、客観的に「君の論文、バツ!」と言われているのだから面白い。

その理由はきっと色々あるのだと思うが、ぶれぶれの文章が一因となっていることは間違いないと思われる。

自分でも書きながら、微妙に議論をズラしている感覚があったのも事実。

現実的問題として、ぶれぶれ文章の修正が求められているのだ。

 

そして最後に3つ目である。

現実的トリガーとしては上記論文の低評価であるが、これを契機に定期的に文章を書くようにしたいという思いも、同じぐらい大きい。

であれば、「駄文をぶれずに書ききる」という練習として、定期的に文章を書くようにしてはどうか思いついたのが先ほどの時点。

それでここまで駄文を書き連ねることができたのだ。

なんとか習慣化したい。

 

以上のような3つの理由から、ぶれずに駄文を書ききりたいと考えるに至った。

3つ理由を挙げるなど、慣れないフレームワーク(笑)を使っているあたり、センスのないところを見せつけてしまっている。

しかし、こういった小手先のテクニックは、内容が無ければないほど使っていきたい。

なぜなら、「こだわるべきなのはぶれないことだけだから」と自分に言い聞かせることで、内容やオチが無くても文章が書ける気がするからである。

 

最後に、今後に向けた反省を書いておきたい。

内容が無くても書けるという点にメリットを感じているということは、どうしても書きたい内容があるわけでもないということである。

Blogに載せる記事であればそれは珍しいことではないが、論文ならばもう少し真剣さというか、本気でテーマに向き合う姿勢が必要だったかもしれない。

 

ガチ反省が出てきたところで、今回は終えたいと思う。